浅草寺といえば、いつも観光客で賑わう東京名所。
何がそんなに人を惹きつけるのか?ってことを考えると、日本的な美意識を体現する様な境内や建物、そして何よりも浅草寺の山門に吊るされた大きな提灯の力ではないでしょうか?
今日は、浅草寺の顔とも言えるあの大きな提灯についてご紹介します。
浅草寺の提灯について詳しく知ろう!
浅草寺は、東京は台東区、浅草2丁目にある東京都内でもっとも古いお寺です。
正式名称は、金龍山浅草寺と言い、創建は平安時代にまで遡ります。
また、元々は天台宗のお寺でしたが、第二次世界大戦を機に、浅草寺の始まりでもありご本尊でもある聖観音菩薩を祀り、聖観音宗の総本山となった経緯があります。
ちなみにこの聖観音宗は子院が25ヶ寺、末社18舎あります。
浅草寺と言えば、山門である風雷神門にある大提灯。
現在では風雷神門を含め、3つの大提灯が浅草寺にはあります。
浅草寺へ行った際には、3つの大提灯を見学してみてはいかがでしょうか?
なお、浅草寺付近の観光名所は色々とございます。
それぞれの場所を一気にご紹介します!
- 仲見世
- 風雷神門(雷門)
- 宝蔵門
- 本堂
- 五重塔
- 二天門
- 浅草神社
他にもまだまだ多くの名所が浅草寺にはあります!
現在、風雷神門に提灯がある理由
風雷神門は、右側に風神、左側に雷神の像が置かれている朱色で塗られた山門です。
風神、雷神の像も大変迫力があり、力強い木像なのですけど、それよりも目を惹きつけられるものが、この山門にはあります。
それが大提灯です。
この大提灯は、重さが700kgほどにもなり、それが吊るされている事実だけでも驚きに値することですけど、なによりも見た目のインパクトが凄いので、海外から来られた観光客の多くがその姿を写真に納めています。
さて、この雷門の大提灯ですが、初めて雷門に吊るされたのが、1795年だと言われています。
その後、雷門自体の3回に渡る焼失があり、しばらくは存在していませんでしたが、1960年に95年ぶりに大提灯が復活しました。
なおこの時の大提灯は、現在パナソニックと社名を変更している松下電気の創業者である、松下幸之助氏が寄進したものであったのは有名な話です。
パナソニックによる大提灯の寄進は現在でも続き、それは雷門に吊るされている大提灯からも確認できます。
1960年に松下氏が大提灯を寄進しなかったら、、、祈願しても病気が回復していなかったら、、、現在において、どこか淋しい雷門がそこにあったかもしれません。
浅草寺の提灯が畳まれる時
本日のメインテーマ。風雷神門、ひいては浅草寺の提灯が畳まれる時があること、ご存じですか?
改修工事を理由に畳まれて、片付けられるのとは違います。明確な理由があり、畳まれる時があるのです。
それはどんな時か?考えてみれば当たり前だと感じられるかもしれません。
三社祭の時
浅草を代表する祭り、三社祭の時、浅草寺の大提灯は畳まれます。
これは三社祭で使用されるお神輿が山門をくぐり抜けることから、大提灯があっては通りにくいと言う理由からになります。
台風や強風が吹く時
雷門がある場所は、良く言えば開放的です。
しかし反面、開放されているからこその弊害として、もろに風を受けてしまいます。
重量約700gと、もしものことが起こった場合、とても安全とは程遠い状況になるのは目に見えているので、安全を考慮すれば、大提灯を畳むのは当然の配慮です。
こうした風による被害は、提灯であれば付き物であったりします。
そのため、少しでも耐久性を上げる目的でビニール提灯を店頭看板として作成したり、お祭りでは弓張りを手持ちで活用されてはいかがでしょうか?